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ドレミファの歴史

写真ドレミファフェスティバルの前身は1963年「市民体育レクリェーション民謡の夕」という府中市体育協会主催の催しです。翌年名称を「一万人の集い」と改められ、1966年府中市及び商工会議所が主催となり、1967年「五万人の集い」に名称を再度改訂。1969年から10年間に渡り「府中夏祭り」という流れを汲んで、1979年に市内17団体で「府中夏祭り実行委員会」を組織化。翌1980年『ドレミファフェスティバル』と『こども音楽会』が企画され、住む人々の声が“こだま”のように町中に響きわたる「文化あふれるまちづくり」の原点としてスタートしました。

写真1984年ドレミファフェスティバル秋の部としてドレミファマラソン大会を開始。1989年キャラクター“あしの介“の誕生と共に運営協議会は「府中ドレミファ協議会」へと名称変更し、フェスティバル・音楽祭・マラソン大会の各運営委員会を設置。1990年有志による「親子花火大会」を開催。翌1991年より十数年ぶりに打ち上げ花火が復活。1994年には協賛事業としてドレミファラブリバーフェスタを芦田川河川敷で開催、翌1995年には小椋佳作詞作曲の『夢の来た道』が府中市のテーマソングになりました。

写真1998年には「太鼓フェスティバル」を開始、近隣地域や遠方の太鼓団体を招待し、まさしく“こだまが響きわたる”フェスティバルへと発展しました。1999年ドレミファフェスティバル・音楽祭が20周年を迎えました。この年『熱闘タンスリレー』が開始。タンスリレーは翌年より町内会連合会の絶大な協力のもと、市民によるフェスティバルづくりへの機運が高まり、こだまが響きわたって素敵なハーモニーを奏でるようになりました。

また、2002年より協賛事業として、府中市出身の国際A級ライダー「岡本勝太氏」他有志による“テクニカルライディングショー”を開催。同年府中シティオーケストラによるドレミファコンサートも協賛事業で開催。市民の連帯感を昴揚することとなりました。
2009年は第30回という節目を向かえNHKによる「まちかどファミリーコンサート」を30周年記念事業として開催。天候が悪い中でも多くの親子づれで開催することが出来ました。
このような流れの中で、ドレミファフェスティバルは時代に添って柔軟にその姿をかえてきました。有志数名が企画した小さな花火大会がきっかけとなり、夏の夜を彩る現在の打上花火大会にまで発展したのをはじめ、河川敷[ドレミファラブリバーフェスタ]での数々のイベント(太鼓フェスティバル、コンサート、バンドコンテスト、フリーマーケット等)やタンスリレーなど住民参加型の祭りへと進化してきました。第一回から今日まで、多くの地域団体の協力のもと創り上げてきたドレミファフェスティバルは、府中市民の・市民による・市民のためのフェスティバルへと益々発展していくことと確信します。